初心に返る(ジャニオタになったきっかけを思い出してみる)
初めましてブログ一発目。生まれて23年目にしてブログを初めてまともに書きます。
いや〜〜〜〜〜23歳になってしまいました!
23歳ですって!もう、23歳って私の好きなアイドル達なんの曲歌ってた頃?!
もうあの歌を歌ってた頃を追い越しちゃったのか・・・そんなことを考えています。
さて、私が続けてこの9年目に入ります。ジャニオタの第一歩を踏み出したお話を、初心に返ってしてみたいと思います。
遡ること9年前。確かあれは、2007年12月30日のことでした・・・
高校受験を控えた私ですが、30日になるとさすがに予備校が休みでした。
そこで、家族の年末年始の食材の買い物についていってる時、(勉強しろよって言わないで!)車のテレビ付きカーナビで彼を見つけました・・・
なんだ!このメッシュの入った美しい学ランの男の子(沢田慎くん)は!!!
そうです。何を隠そうこれが、全ての始まりだったのです。
今でも鮮明に覚えていますが、確か翌年に放送が決定の第三弾かな(時期が違っていたらすみません)スペシャルか何かかな・・・の番宣で、年末年始にどどーーーーんとごくせんが再放送されていたのですよ・・・
30日に初回から中盤までの回、31日は中盤から最終回っていう具合のそりゃあもうものっすっごい攻めっぷりのスケジュールしてたんですよね汗汗汗
そういえば、ハマる機会なんてもっと前にあったはずなんですよ!かの有名な花より男子は2がこの年の1月〜3月のクールでやってたんですから・・・
でもなぜか小学校高学年〜中学生ぐらいの私は、ドラマは山P大先生にとてもお世話になっていたので(野ブタとか大好きでしたね)全然当時は見ていなくって、花より男子流行ってるのは知ってるけど、ほとんど触れていなかったのですよ。
ごくせんも2から見てたので、リアルタイムで知っているのは赤西くん亀梨くん・・・そう仁亀という言葉が世に知れ渡り、"ごく出は永遠の新規"っていう恐ろしい単語で有名なあのごくせんでした。KAT-TUNにはハマらなかったけど、当時ものすごいキテる男の子特有の太陽を虫眼鏡で見てしまったような凄まじく強烈なギラギラ感を覚えています。
そう!ここで、嵐ファンの方(じゃない方でも、もしかしたら)から見たらすごい分かると思うんですけど、
なんっていう中途半端なタイミングでハマってるんだ?!
って自分でも思うんですね。
でも、多分これは本当に自分の中で明確な答えがあって、
受験目前で、卒業も目前に控えた14歳の私が、新しい年を迎えようとしている状況で見てしまったから。ではないかなって言葉にすることが、ようやく潤くんを応援し始めて9年目にしてできるようになった気がします。
高校への憧れと中学の卒業っていう学生の進学独特の寂しいと憧れが綯い交ぜになったあの複雑な心境の時に見たからこそ、ごくせんというドラマが、そして沢田慎くん(役を演じていた潤くん)がすごく光ってキラキラして見えたと思うんです。
そんな私は、すぐにこの松本潤くんが入っているグループは嵐というらしいぞ。どうやら5人メンバーがいるらしいぞ。と自分でどんどん調べていく新規特有の熱量を帯び始めた時が受験期と重なりました汗
ちなみに当時一番最初に打ち当たったオタクの壁は、顔と声を一致させることだったように思います。あとは、雑誌ってどれ買ったらいいんだ?!とか。
初めて買ってもらったCDは通常版のStep and Goです。買ってもらったのは、第一志望の公立の推薦に落ちてしまって、その合否が出た日に発売されたのがStep and Goでした。
なんだろう。この爽やかで素敵で背中を押してくれる曲は。
と感動して、すごく嬉しかったのを覚えていますし、それが背中を押してくれて無事に第一志望は一般で受かることができました。
後にも先にも母にお小遣い的な意味を除いて、アイドル関連の物資をしてもらったのはStep and Goだけなので、かなり貴重な経験だったように思います。
そこから、もう高校一年生の6月30日にファンクラブ会員を振込しにいってあれよあれよと言う間にジャニオタというものに大変身していきました。
通っていた高校は3年間クラス替えなしで、ずっと同じメンバーで過ごしていたので、当時潤くんにかなり盲目だった私に周りのみんなはすごく優しく接してくれていた気がしています。
さて高校受験を控えていた私は、2年の浪人を経て大学に入ってこれから就活が控えています。
今年はアイドルに対しても自分に対しても、就活を経て新たな見え方ができる年にしなくてはなりませんね。
さあ初心に返った私は日付超えて最初にしたのはジャニーズネットの誕生日動画を2つ見ることでした。来年もそんな誕生日になりますように。来年は就職決まってて腹も括れてる私でありたいなと思います。